遡ること12月1日にとある経営者さんにお目にかかることがありました。
実際に私は人づてでしかその方のお話を聞いたことがなく、会って話ができるとわかったのも氏を目の前にしてからであったので
自分の想像の部分を質問という”ボール”にしてキャッチボールをするという普通のやりとりというよりかは、氏の”何か面白い話を聞かせてくれるのでは?”みたいな期待を感じさせる笑顔を向けられてしまい、少々牽制気味の”ボール”を多々放る羽目になってしまうところからのスタートになりました。
こういった場合、話を相手にさせるに限るのですが、なにぶん私が氏の人間性や持ち合わせているであろう感情などに対しての想像が不十分なためか、はたまた何を話題にしていいかわからずくすぶった表情をしている私を楽しんでいるのか、話を聞いても私が喋っても何かつかみどころがないような気がするような感じでした。
何度か場所を変えて話を聞いていると会話の中でも氏の言葉選びがうまいなと感じることが多々あり、氏は特に私の何かを掴んだようなことを言っていないのにかかわらず、不思議と認められたような気がしました。
全くもって不思議な人だなぁと・・・。
そして今この文章を作るにあたってぼんやりとその氏の面白いというか奥行きの広さというようなものを考えているのですが
なんだか現代の日本社会の根底にある”職人芸の美学”みたいなものと一線を画した人物かなと思いました。
日本の組織や集まりは規模が大きくなると”知らないあなたが悪い。できないあなたに基準を持てない”と言った気分がすごく大きくなっていきます。
これを私は”職人芸の美学”と読んでいます。
話は飛び気味になりますが、現在の日本社会は建物や道路などは普遍的なものだと考えます。
もっと詳しく言えば建物や道路は日本も外国も共通です。
ですが私は会社組織などの人間の集まりを指す組織は普遍的なものではないと考えます。
特に日本の会社組織などは外国では通用しません。
それは生きていけないというようなことではなくて、日本の礼儀やマナーなどの”文化”を知らずして参加することが難しいということです。
以下は極端な例えになりますが、
和の文化にはお茶の文化があります。
そこで行われる挨拶や儀礼に基づいたおじぎや、三つ指をついてお客を出迎える礼儀作法などは日本独特の文化です。
これは外国においてはマナーでもなんでもありません。日本だけの固有のものです。
もしこれに何も知らない外国人の方が参加しなければならないとすれば、100人のうち何人が残るでしょうか。
ほとんど残ることはないと思います。
しかし誰でも参加できる普遍的な組織があるとすれば和の文化やお茶の文化など総称した”文化”の存在しない組織なのではないでしょうか。
ですがこれはどの国にも言えることですが、”文化”のない会社組織は存在しないのです。
しかし氏と話しているとなんだか”文化”を全く感じさせないという不思議な感覚を得ることができました。
話を聞いて行くうちに氏はやはりその”文化”の部分を通常の人よりも何倍も経験しているような気配がありました。
まぁ氏を褒め殺したいのではないのですが、氏と話していて思ったことがありました。
この人は誰でも使うことができるのではないだろうか。(この場合使うというのは自分の部下にした場合において必ず良い結果を出させることができるということです)
たとえ言葉が通じなくても、生きて来た文化が違っても、はたまた自分の何かが多数不自由になっていても。
そう思わせる人なのだと感じました。
氏が本当にそんなことができるかできないかはおいといて、
私が目指すものもなんだか見えて来た気がします。
”誰でも参加できるインターネット”
”誰でも参加できるホームページ”
”誰でも利用できる内野商店”
誰でも参加できて利用できる自分でないといけない。
それが理想だ!!
と思った日曜日。
写真は本日マンガ倉庫福岡空港店様で行われたゴリぺぺ祭の模様です。
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