猫社会人間社会比較:言葉と鳴き声編

人間関係の究極は動物にある。

我が家の猫3匹の猫社会を見ているとそう思ってしまう。

人間社会は煩わしい縦社会とマナーやモラルといった”一方的な押し付け文化”みたいなものの上に人間関係がある。

これに頭を悩ませるのが人間だと思っている。

では、もっと踏み込んで考えてみると人間関係を紐付けているのは口から発する言葉なのではないかと思う。

人間はこの言葉によって相手の感情を動かし、他人にそれを共有し生きている。

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私は先日とても腹が立ったこともあり、今日は終日そのイライラの要因を解消するための事について頭を使っていました。

原因は既得権益に対する怒りが主だったのですが(はっきり書くとトゲが立つのでかけないw)言葉さえなければこいつらはこんなにも既得権益に対して執着しなくて済むのにな。

と思っていると、

言葉は無粋で不必要なのではないかという極地にも似たところにたどり着きました。

言葉がなければいがみ合うことはないかもしれない。言葉がなければ助け合うことにも理由はいらないのかもしれない。はたまた文明や文化は言葉なしでは存在しないのでこの猫たちのようにのびのび暮らせるのかもしれない。

そう思いました。

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一方猫目線でも考えてみる。

毎日退屈だなぁというのも相手に伝わってないかもしれない。

自分がマタタビをもらって我を失っていることに自分でもわかっていないかもしれない。

先住(先に住んでいる猫)は猫っぽいけど、私はどちらかといえば飼い主のように人間の姿をしているに違いない。と勘違いをしたまま毎日を過ごしているかもしれない。

トイレでう●こをした後にダッシュしたくなると気づいているのは自分だけだと思ってすごい優越感に浸っているかもしれない。

壁で爪を研いで飼い主に怒られている自分は飼い主の気が引けているので、それに気づいていない飼い主は自分の手の平で転がっているんだぜ。と満足しているけど飼い主はその度に”お?もう爪を着る時期か?”と思っているだけなのに気づいていないかもしれない。

挙句爪を切られるのはいつも嫌な気持ちだとその都度思うのだけれども、いつもその時が来るまで忘れてしまっていて、その爪切りされるという行為を壁で爪を研ぐことによって誘発している自分に気づいていないのかもしれない。

そんな猫目線を自分に持ってみる。

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話がそれるが私は運動が苦手です。

幼少の頃から一人だけ逆上がりができないというのも運動嫌いに拍車をかける要因にあります。

逆に猫は運動神経が良いイメージがあります。よりしなやかなイメージです。

 

煩わしい人間関係とは無縁で良質な運動神経も生まれつき持ち合わせている。

そんな猫と猫社会に一抹の憧れがあります。

でも食べているのはキャットフード(ニュートロ)。

でも寝ているのは猫ベッド(キャットタワーについているやつ)。

でもトイレはデオトイレ(おしっこの匂いとかがあまりしないやつ。これじゃないと猫は嫌がる)

みんなすっかり文明猫になってますね。

ちなみに今日は私が家に帰ってきたら用意していたキャットフードを食べ尽くしていたらしく、ニャーニャーと鳴いてアピールしていました。

これは”キャットフードよこさんかい”といっているのですね。

言葉は必要ですね。無粋で不必要なわけがありません。

私は何をいっているのでしょうか。

 

今日の現実逃避はおしまいです。

我が家の末っ子”イワシ君”です。

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