私は2017年の9月あたりから自営業を始めている。
2018年の中頃から少しづつ仕事をいただけるようになってきたが、ただ運がいいだけに過ぎないと思っている。
開業してから2年目。
現在まで人に会うための出張が中心の生活である。
でもこんな生活を特に不満に感じたり苦しく思ったりすることはなかったけれども、時間と経費が全くたりないので、注文したらすぐに出てくるファーストフードやコンビニで格安に済ませたり、普段からカプセルホテルがあれば必ず使うので、テンションの上がりきった外国の方が雑談を通り越して公開収録しているトーク番組かと思うほどの声のでかさで盛り上がっている場面や、仕事で疲れ切ったサラリーマンの魂の叫びに近いいびきを蜂の巣のように組み上がったベッドでステレオサウンドで感じつつ眠りに落ちて生きている。
中学高校大学と同級生が才能を開花させて出世して部下をたくさん抱えながら仕事をしている話を聞くと、自分も年をとったんだなと感じる。
それでも世の年長者にはまだ才能を生かしきっていない方がいるので不安を感じることはなかった。
出世した同級生や昔なじみが飛行機の値段の高い席を使っていたり、みだりにタクシーをつかったりしている姿を横目に見ても、業種が違ったり(そいつらは大企業に勤めている)したせいか嫉妬を感じることは特になかった。
しかし、そんな無欲さが取り柄のような私にも抜き差しならぬ状況になったことがある。
約20年前に入社したほぼ同期の(当時勤めていた会社の)社員たちが出世して職位が上がったり子会社の社長になったりしていき、私は取り残されたダメ社員になってしまったようだった。
一番厄介なのは自分の小さな器からドボドボと音を立ててこぼれている自尊心と、待っていれば何かが自分を大物にしてくれるという”見えない神の手が救ってくれる病”を自覚症状のないまま過ごしている自分の姿だった。
私は3匹の飼い猫の1匹”もずく(メス)”に嘆き喋りかけてみた。
なんで俺はこんなに出遅れてしまったんだろう。
なんで俺はこんなにダメ扱いを受けてしまうんだろう。
きっとその時の私は人間に嘆くより優しくて無難な返しを期待したのだ。
彼女は”ウーーー!!”と唸り声を上げ私の目を見て眉間にしわを寄せつつ様子を伺い始めた。
”あー!ごめんごめん!”と慌てふためきとりあえず取り繕った謝罪を口にする自分の姿に私は同期や同級生や昔なじみの功績を初めて受け入れることができたような気がした。
人間は想定外なことや受け入れることが困難なことが起きると取り繕うことしかできないのだ。
初めて取り繕って生きていた自分を実感した瞬間だった。
おそらく彼女はこういっていたのだろうと思う。
”知るか。喋りかけるな。”
その後彼女は毛を逆立て体をこわばらせながら起き上がり、
私の目を睨みつけ、視線を一切そらすことなく全力で爪とぎでゴリゴリといつもよりすごい音をたて爪を研いでいる。
それはまるで何かの昔話に出てくる包丁研ぎのババァのようなオーラを身にまとっていた。
私を爪とぎに置き換えているのは間違いない。
しかし年月が経ち私は変わったと思う。
彼女に聞いてみよう。
”君が怒ろうがなんだろうが私は取り繕ったりはしないよ。何が起こっても大丈夫さ。そんな大人になったけどどう思う?”と。
それでもきっと彼女は変わらずゴリゴリと怒りにも似た感情のこもった音を立てて爪を研ぐだろう。
そして眉間にしわを寄せ眼光鋭く私を睨み続け、私は勝手に”知るか。もっと頑張れ”と励まされているようだと今度は都合のいい解釈をするのだ。
取り繕うのもいいだろう。
過去の自分を振り返るのもいいだろう。
彼女の態度に見られるように自分も今後どのように物事をとらえるのかというとらえ方の問題なのだ。
今日もわたしはいつものようにカプセルホテルに泊まりいろんな音や声やいびきや場違いなテンションのトークをBGMにして眠るのだ。
そんな今日この頃。
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