犬も猫も人間も

最近野良犬を見なくなった。

今日の昼間に仕事の打ち合わせが現地集合となり、川沿いの工事現場に行った。

現場で重機が動いているのを見ながら、作業が終わるのを待っていた時、

首輪のついた一匹の犬がオドオドしながら道路を歩いていた。

逃げてきたのか、それとも手綱が外れて思わず自由になってしまったのか、

そんな雰囲気を出していた。

私が中学生ぐらいの頃までは野良犬なんかそこいらにいっぱいいて、たまに保健所の人が捕まえに来るのが当たり前だったが、気がつくとそういった光景は全く見なくなっていることに気がついた。

私が小学生の時、家ではのび太という犬を飼っていた。

常に放し飼いで自由人。人ではないので自由犬か。

首輪のついた野良犬といっても遜色はないのだが、野良犬というよりは風天の寅さんという感じだった。

犬なのだが気のいい犬だというのがわかる珍しい犬で、保健所の人が来ると近所から野良犬に間違われないかと心配されるような情と徳を兼ね備えた犬だった。

気がつくといつも家の敷地内にいて見つけられると嬉しそうに尻尾を振っていた。

私の兄も同じような性格をしている。いきなり帰ってきては尻尾を振って嬉しそうにしてるように見える。

私も毎日全国を飛び回っている。知っている人に会うと尻尾を振って喜んでいる。

我が家の男子はそういう男子が出来上がる確率が高いかもしれない

しかし私は風天の寅さんほど陽気と寛容を備えてはいない。

そのせいか動物には好かれるのが当たり前の兄やのび太と違い、私は違う反応をされることが多い。

おそらく犬や猫などの比較的日本人の生活空間にいる確率の高い動物は私のような人間を自分以下の生物だと思っているのだろう。

私はどんな犬や猫にもよく吠えられるしよく威嚇される。

私が近づくと”うちのこはおとなしいのよ〜”と温和な飼い主も驚くほど歯を剥いて怒声を浴びせてきたり、ひどい時は引きちぎれるほどの力で噛み付いてくる猫もいる。

あらかじめいっておくがどの犬もどの猫も初対面だ。

ここら辺も組織から弾かれた人間の”匂い”を感じいているかもしれない。

私とのび太の関係は糸の切れた凧同士のコミニケーションだと思っていた。

私と違ってのび太はいつも決まって19:30付近の飯時は必ず我が家の敷地内にいた。

そして飯時に私が近くにいると容赦無く威嚇してきた。

私はいつもその威嚇に納得がいかなかった。

犬の根本は群れであると思うのだが、私はのび太にとって群れの一員ではないことを痛感させられる瞬間だった。

仲間じゃねーのかよ!威嚇されるたびにそう思っていた。

そういえば道端であっても完無視。

近所の家にはのび太にそっくりな犬が次々と生まれる。

私が卵かけご飯を夜ご飯にしている時、のび太はカレーがご飯だった。

わたしは基本的な考え方に”あなたの幸せと私の幸せを分けて考える”という考え方がある。

あいつはあいつなりに自分の幸せを私よりも先に見つけていたのだろう。

この考えの根本にはのび太という哲学が存在しているかもしれない。

あいつはいいやつだったな。でも俺のこと嫌いだったな。

私は犬からも猫からも人間からも距離感を持って接していないと威嚇される人間のようだ。

最近”アホとは付き合うな!”という内容の本を読んだ。が、読めば読むほど私がアホの部類になっているように思うのは、

おそらく私が付き合いたくない人間なのだということを犬や猫から早い段階で教わっていたからかもしれない。

あいつらは言葉で表現できない代わりに態度で示してくる。

私にはより攻撃的に。

言葉がなくてもわかるよね。

”お前の顔とか色々気に入らねーんだよ!!”

って思ってることぐらい・・・。

 

真面目な記事ばっかりなのでたまにはゆるいやつを書いてみようと思った1日。

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