最近、大きなホームページの作成と運営の案件のご依頼をお受けしました。
組織体としてもかなりの大きさの組織であるので、ことを運ぶのにも気をつけて段取りを確認しなくてはなりません。
そういった懐かしい会社組織でのやり取りを肌で感じていると、まだ2ヶ月も経っていないのになんだかとっても懐かしい気持ちが胸の底にこびりついている感覚を覚えました。
今回も小売業の集客案件が主だったのですが、やはり会社組織が大きいと内部の組織構造に意識がいってしまします。
なぜなら組織体が大きければ大きいほど人間の”なま”の部分がにじみ出ていることを感じることが多々あるからです。
一昔前に司馬遼太郎先生の”アメリカ素描”という本を読んだ時に、
文明は普遍的なものでとても合理的であるが、文化は不合理そのものに美的感覚を内包させている。特にアジアの文化にそれが多い。
と言った意味のことを書いてあったと記憶しています。
会社というのは”文明”なのでしょう。なぜなら全世界共通の認識で会社というのは社(やしろ)であり拠所(よりどころ)であり、普遍的な認識出会ったとしても変わりはないと言えます。
しかし会社の中の組織は”文化”なのです。これは日本だけではなくて外国の方が日本の会社組織の不合理を肌で感じて驚くことを考えれば、まさに不合理=文化の図式を感じます。
少し話がそれるかもしれませんが、この不合理=文化というのはアジアに特に多いらしいです。
例えば、少し前の日本では、襖を開ける際に女性ならば膝をつき、襖を開けた後に三つ指を立ててお辞儀をし、要件を述べてから敷居をまたぐことがあります。
しかし襖を立ったまま開ければ一番合理的なのに、わざわざ不合理を通すことが日本の文化なのです。しかもそこに美意識を持っている。
少しわかりにくかったかもしれませんが、現在の会社組織でもこの”文化”を多々感じます。
自らに負い目や不合理をわざわざ抱え込んでいる。しかしそれも”文化”なのだとわかればお互いに主張し合うことなく目標に進めるのですが、会社組織が大きくなればなるほど難しいのです。
話を戻しますが、大きな組織とお仕事を共にする際にはやはり”文化”ではなく”文明”を軸にアイデアを作っていくことです。
人依存、商品依存、システム依存などいろいろ言われておりますが、お客様は文明の側面しか見ておりません。内部は関係ないのです。
と、懐かしい感覚に浸りながら進めていきたいと思います。
写真は最近買ったiPhone8と交換して我が家にやってきたMacBookProです。
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