少し昔になるが、感情論の前には全てが無意味だ。と感じることがあった。
よく会議に自分の感情を持ち込む人たちがいる。
私の働いている業界はアルバイトから社員に昇格する以外は社員になることは滅多にない。
会議では誰を今後社員に推すかという会議だった。
社員の枠は一人分で希望者は二人。AさんとBさん。
私は同じ部署で働いていたBさんを推薦した。
Bさんは普段はあまり多くを語らないタイプで、結果を出していくタイプ。
何より推薦するには十分すぎる結果を出していた。
Aさんは結果は全く出ていないし、今後も出せるとは思わないが上層ウケだけはとにかくよかった。
結果からして上層の判断はBさんだろうと思ったし、規定通りならば結果を出した人間が上に上がる仕組みなのだからBさんであるのは当然だ。
なぜ結果が出ているスタッフと出ていないスタッフを同じテーブルに並べて見比べる必要があるのかと思った。
しかしAさんが推薦された。
私は役職のある立場だったが”組織の秩序を乱す危険人物”認定を受けていたので会議には呼ばれてはいなかった。
なので慌てて会議の内容を確認した。
議事録など作らない部署だったので大変だったが、Aさんを推薦した人物は
”Bは売り上げという結果は出ているが協調性が少ない。”と言っていたらしい。
他にもいろいろ言っていたと思うが、彼はBさんとあまり仲が良くなく、仕事上でも良く指摘を受けていたようだ。
私はBさんのそう言った注意深い部分は頼りにしていたのだが、私以外に指摘を受けた人物の中には立場上の上司も含まれており、上司という立場がその指摘を快く思わなかったのも大きな要因の一つだと感じた。
なぜならAさんを推薦する理由が
”遅刻をしたことがないから”だったからだ。
完全に感情論を持ち込んでいると感じた。
なぜなら規定では”結果のみ評価対象とする”ということだったはずだ。
Bさんの遅刻もそんなに目立つほど確認した記憶はない。
その後、AさんもBさんも会社をやめてしまった。
Aさんは結果を持っていないため、周りからの信用も薄く、自分の立場を守る仕事しかしなくなりやめてしまった。
Bさんは約束を守らない会社に嫌気がさしてやめてしまった。
私はBさんの推薦は確実と思っていたのでその約束を守れなかったことに対する罪悪感はかなり大きかったし、Aさんの気持ちも理解できた。
結果、全スタッフからの不信を買っただけになった。
その責任は誰も取らない。責任すらも曖昧だったと感じている。
組織が大きくなればなるほど、”客観的な結果”と”大衆の支持”は同じバランスを取ることが望ましいと思う。
でもなぜか無用な感情論を持ち込む奴に限って結果を出せない人や出したことがない人が多いように思う。
現にAさんを推薦した人たちは結果を出すことに常に苦しみ、目標未達を乱発していた。
”組織の論理にとらわれずコストを最小化し、利潤が最大化されるよう個人の判断で動き回る”という経済学の基本原理で考えるとどっちが正しいかはわかると思う。
感情論の前では会議の全てが無意味になる。絶対に結果に繋がることはない。
この記事へのコメントはありません。