偽りのない自分

私は個人商店になってからはあまり自分を偽って人と接しないようにしている。

今までも偽ってきたわけではないが、より一層偽らないようにしているという意味である。

最近は自分を偽って相手に気に入られるようなら、いっそのこと嫌われた方がいいと思うようになってきた。

いきなりガードを高く上げていては相手もガードが高いままだが、こちらが無防備だと相手もありのままを出してくれることが多い。

ただ言っておきたいのは馬鹿みたいに自分のことをベラベラ喋ればいいということではない。

”分人”という概念があるらしい。

対峙している相手の出方や、自分の立場や置かれている位置・環境によって、自分の中にあるいくつもの複合的なアイデンティティのうちの一つが”分人”として表に出てくる。

仕事・家庭・趣味。それぞれの場所で違う自分(分人)がいる。

というのが”分人”の概念だそうだ。

対峙している人にとって一番無理のない”分人”を引き出すのも私の仕事だと思っている。

それができないと達成するべき物事の本質をつかみとることは不可能だ。

この人と話していると楽しいし気分が楽だ。

と思われるかどうかで相手の感情の奥深くまで引き出し、受容しあえる関係になれるかどうかが決まる。

これができれば仕事の本質をつかむことができ且つ仕事のスピードは劇的に加速する。

そのためにいつも自分からガードを下げて相手に接することを忘れないようにしている。

が、

前々回に書いた”私たちを安く使おうとする目的がありありと見えている人”は例外である。

この例外については長くなりそうなので飼い猫もずく氏の件と同様時間があるときにじっくり書きたいと思う。

私が組織に所属して働いているときに”上層の人と戦っている人”というイメージがあった。と書いたことがある。

なぜ自分でそういうキャラクターだと認識しているのか。

私は会社勤めの時、組織の責任者的な存在ではあったが会社に属して働いていたので世間の常識から自由だというわけではなかった。

同じ部署や店舗ではなかったが、今から15年以上前は明らかに世間の常識から自由な人間が社内にゴロゴロいた。

私はそういった人たちが世の中の一般人には到底受け入れられない”自由な個体”に見えた。

それは本当に自分にとって自然体でいられる”分人”だったのだろうと思っていた。

しかしこういった人たちは組織の秩序とは無関係な立場に追いやられてしまうことが多い。

理由は組織の秩序を乱しかねない危険人物だと思われていたからだ。

私も同じような扱いを受けたことがある。

”上層の人と戦っている人=組織の秩序を乱しかねない危険人物=自由な個体”だと見なされたと感じることがあった。

私は自分で”自由な個体だと思ったことは微塵もないが、組織の秩序というのは薄情なもので悪いことを悪いことだと指摘しても危険人物のレッテルが待っている。

完璧な人間なんてどこにもいない。なのにこちらから全てを嘘なく発言すると危険人物扱いされる。私の仕事での”分人”はかなり精神力を磨耗した。

だが代わりに手に入れたポジションがある。

”上層の人と戦っている人=組織の秩序を乱しかねない危険人物=自由な個体”というポジションだ。

失うものも多かったが、引き換えに”嘘をつかない分人”を手に入れた。

この経験で手に入れたものは独立して自分で仕事をもらう上でかなり貴重なものになった。

逆の意味で”奴隷の幸福”という言葉がある。

何かを強制されている状態はいろんな意味で楽なことだが現実自分にとっては停頓状態だ。

あなたは一見、停頓しているように見えて実は特異なことをやっているように見られたいだけのただの三流の心理かもしれないことを覚えておいてほしい。

それは上司にも自分にも部下にも言えることが理想だと思う。

そのためには嘘のない”分人”を見せ合える関係が必要だ。

そして仕事の本質を掴み、スピードを上げないとファンやお客様の関心を失う。

失った関心がなんの根拠もなく自然に戻ってくると思っている違和感に苦言を言い合える間柄であってほしい。

と思う・・・。

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