冗談

私はよく人に向かって冗談を言う。

最近冗談を言って相手に複雑な表情にさせてしまったことがある。

ある日の喫茶店で彼は私に”顔にニキビができてしまっている。私も年頃かもしれない”と言った。

彼の年齢は私と大して変わりはない。

その人は私に冗談を言っていると私は感じたので

ではあなたの名前は今日から”いちご”か”ブラックモンブラン”ですね。

と言った。

彼は大変引きつった表情をして別の話を初めてしまった。

後々冷静に考えると、彼は手作りスイートポテトのようなアバタを気にしていたのだろう。

私はこの手の冗談やギャグを自分に言われても全く気にした記憶がない。

と言うよりは気にしない教育を受けてきた。

様々な体験や経験によってその教育は成り立ってきた。

小学1年の時、豪雨の日に母にタバコを買ってくるように命じられ嫌々買いに行こうとすると、頭はバイクのフルフェイスを被らされ、体は合羽を羽織らされ、これなら傘をささずに済むしかっこいい。と真顔で言われた時も

タバコ屋さんについたときにタバコ屋のおばちゃんの私を見る目が冷ややかだった時も

無事家に帰り着いた時に母と兄から”本当にその格好で行ったんやね”と大笑いされた時も

小学校の夏休みに学校のプールに行く際、かまぼこ板に名前を書いたものを名札がわりにする規則があり、それに穴を開けて紐を首から下げて皆でプールに行く際も、母は穴を開けるのが面倒だと言ってぐちゃぐちゃの段ボールに名前を書いてビニール紐を通し、”はい。あんたの分はこれ”と言った時も

小学校の家庭科の授業で裁縫があり、皆裁縫道具を新調しているのになぜか私だけ新調させてもらえず、線香の箱の入れ物に今後も絶対使わないであろう裁縫道具を乱雑に詰め合わせたものを母に渡された時も

しかもその裁縫道具は兄のお下がりらしく、箱の中に理科の実験で使用しているはずの紙分銅がなぜか入っていた時も

待ち針の取っ手に文房具屋で売ってるネームタックシールが貼ってあり、片面だけに名前が記入済みで、”うちの”の文字の大きさの比率が5:3:2で徐々に小さくなっているのに気付いた時も

学校で嫌なことがあり、学校に行きたくないと母に相談した際に登校拒否をもじって”拒否男(キョヒオ)”とあだ名をつけられた時も

高校の入学式の時に母から”私はお兄ちゃん(私の兄)が高校に入学した時に、こんなクソボロ学校に入学しやがって。と言ったのをすごく後悔しているからお前にはそういったことを言わないように気をつけようと思っている。”と間接的に否定の言葉を言われた時も

大学に入学した時に母から”どんなに頑張ってもアホ学校だと言う自覚を持って胸張って生きなさい。お前は今までもこれからもアホだ。いい意味で。”と言われて”いい意味で”の意味が全くわからなかった時も

西方沖地震のとき自宅が大きく揺れて壊れるかもしれないと思い、自分の部屋で覚悟を決めてじっとしていたら、母が私には目もくれずに当時飼っていた犬と財布を持って外に飛び出していくのを目撃した時も

全て冗談だと言われてきた。

私は冗談に関する許容範囲を広く持つ教育を受けてきたと感じている。

話をそらした彼の心情を踏まえると、気の毒な気持ちと自分が逆の立場であってもそんなにナイーブな反応はしない。と言う相反する気持ちがあり、妙な気持ちになった。

気がつくと私が彼の分のランチとコーヒー代を払わされていた。

なるほど。これが代償か。こうやって世の中はうまく回っているんだな。

私も経験をさせてもらったと言わずに損害賠償を請求してもよかったかもしれない。

と思った今日このごろ。

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