士農工商という言葉をご存知だろうか。
日本では武家文化が生まれたあたりからそういった概念があるらしい。
私がコンサルを担当している方々は主に”商”に該当する方々が多い。
私もこの”商”に該当する職業であると思っている。
どの本を読んでもこの”商”に該当する商売人という立場の仕事は”農”や”工”と違い
何も生み出すことがない分、周りからの視線に気をつけなければならないという警告が記載してある。
商人は儲かれば儲かるほど憎まれる。
商人たるもの欲に迷ってはならない。
商人たるもの利と欲を混同すべからず。
商人たるもの物と人と向き合う姿勢は冷静たるべき。
などなど。
おおよそ人から見られた時の印象が第一と言わんばかりだと思う文面だ。
商人は儲かりやすい分”士”に該当する武家から睨まれやすい存在だったようだ。
商売上手ほど上の身分から目をつけられやすい。
歴史に見る無慈悲な租税公課が発生している時代には真っ先に商人は目の敵にされている。
儲かれば憎まれる代表例と言える。
そんな歴史において近江商人のような商人文化もある。
先ほど並べたような”商人とは・・・”のような家訓があり、自らを律しているように感じる。
こうやって律している姿を見れば、お上からの押さえつけも和らぐこともあっただろうと思う。
もうちょっとよく調べてみると、商人は貨幣文化が浸透する以前にも儲かっているのと同じ印象を持たれることもあったようだ。
海産物や必需品などの”商品”をたくさん持っていることや
物やお金や労働力を貸したりする”信用”を担保していることも儲かっているのと同じ印象を持たれていたようだ。
現在の日本は貨幣文化の歴史も長く、商品などはインターネットを使えばすぐに手に入る。
一番大事なのは信用だという時代に入ってきている。
信用をどれだけお金に変えることができるかが現代商人の腕の見せ所だろうと思う。
最近、取引先にいる”変人”仲間の話を聞いた。
彼は夢見がちな構想を提案する私にいつでも現実的な答えをくれるとても頭のいい人だ。
彼は何かを頑張れば暴走していると言われ、いつも会社の決められた枠内で収められることに歯がゆさを感じていた。
会社組織が大きくなれば露店商組合の場所決めやロイヤリティの決め事などと同様なことが発生するようになる。
そのような保守主義経済ではなく、もっと自分の意思ですぐに動けるような自由主義経済にできるように提案するのはどうかとアドバイスしたが、
なかなかうまくいかないでしょうという回答だった。
しかし彼は様々なスタッフからの”信用”を持っている。
ということは彼も現代の”信用をお金に変える仕事”に挑戦する必要があるのだ。
そう言えばよかったと思っている。
信用をお金に変えるのは知恵がいる。
しかもすぐに結果に反映されることはないだろう。
しかしたとえ暴走していると言われても、お前の仕事は無駄だと言われても、
上司の許可を待って歴史に名を残した人はいない
という言葉通りの仕事をしてけば結果は間違いなく後から付いてくる。
勝ちもせず負けもしない大人になると信用はなくなる。
信用もたくさん得ると上司に睨まれるものなのだ。
現代は多少睨まれたって自分のキャラやポジションが確立されるという利点もあるし、
その信用は会社の外にはみ出たとしても外からの信用を得るための経験になっているはずだ。
”雑音”は放っておいて自分の信用を武器にどんどん挑戦して行きましょう!
と言えばよかった・・・。
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