よく閉鎖的な会社を村社会という表現で揶揄する言葉を目にする。
村社会というのは進化せず、身内のことは迎合するが外のことは排他的なイメージがある。
大きくいうと鎖国といえば簡単な表現かもしれない。
勝手な想像だと思っているので、鎖国が絶対にいけないのかといえばそうではないことだけ言っておく。
会社は好きで閉鎖的になるのではない。勝手になってしまうのだ。
創業時はグランドデザインすることができる創業者がいるが、そのあとの首長がグランドデザインをしようとしても”権利”があっても”権威”がないので、周りがその通りに動けないのだ。
そうやって進化ができず村社会になる。
私はこの村社会を最近まで憎んでいたが、今は全然悪い事ではないと思っている。
私の所属しているグループ会社はグループ内でも小さな村や大きな村がある。
私は比較的かなり大きな村に所属していたから、他の小さな村のことが全くわからなかった。
大きな村にいると当時の私のような官僚みたいな存在がボトルネックになりやすい。
首長のグランドデザインをひん曲げてしまう存在になる。
私も自分でそんな存在になっていたと思う。
独立してからは他の小さな村や大きな村をまわってわかったことがある。
今更だが、グランドデザインとは最初の更地にどんな設計をするかという意味である。
村社会があるとすれば、権威のある人間が既存の村社会をもっとよくしていくデザインをするか、はたまた更地にしてデザインを引き直す。
それしか方法はないと思っていた。
実際は違うようだ。
オープンな村社会が良いと感じた。
取引先にかなりオープンな村社会がある。
そこにはいろんな情報が入ってきているし、グランドデザインを実現するために小さな村や大きな村をグループを問わずに情報を集めることに成功している。
内務的な部分もかなりオープンだ。
だからかもしれないがボトルネックがはっきりわかっていると感じる。
そこは小さな村社会の構造なのに大きな村社会並みの生産効率がある。
ボトルネックが少ない証拠だ。
皆表面の結果だけを聞いて真似しようとするが、閉鎖された村社会ほど内務的なボトルネックという問題を解決できずにいる。
目を背けていると言った方が適切かもしれない。
人間は歳をとればとるほど、新しいものを受け入れる能力が衰え、過去の古いやり方がそのまま未来にも通用すると思い込んでしまいがちだ。
それが大きくなったのが閉鎖的な村社会だ。
その逆がオープンな村社会だ。
私の経験上、オープンになろうとするとストップがかかったり、馬鹿にされたりする。
それは間違いだ。
閉鎖的なものをストップし、馬鹿にしなければならない。
進化するにはとっても重要なことだ。
私はそのオープンな村社会を構成する会社の取引先としていられるのがとても幸せだ。
オープンな村社会と仕事をするとそんな気持ちになれる。
皆さんに知ってほしい!
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